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オーディオについて思うこと

オーディオは面白い。
身震いするほど面白い。
技術と芸術の接点、そんな難しいことを言わなくても、電気回路の技術者が良いスピーカーを作れるとは限らないし、インシュレーターやピンケーブル・ルームアコースティックなど音が変わる要素がいくらでもある。
さらに、ソースや聴く人間の感性などが加わるからなおさらややこしくなる。
そこに素人の入り込む余地がある。
場合によっては素人の方が良い結果が出たりする。
そこが面白い。

私は技術者ではない。
音楽に関して造詣が深いわけでもない。
ハンダゴテはかろうじて握れる。
親父が大工だったから、昔から合板が簡単に手に入った。
電動工具も無断で借用出来た。
近年仲たがいしたが、親父には感謝している。
だが、代々大工の家系の血は全く受け継いでいない。

私をオーディオの道に誘い込んだのは、技術者だったお袋の弟である。
この叔父がスピーカーユニットを私にくれた。
それが始まりである。
それから35年こんなことをやっている。
この叔父には感謝してよいものやら、、、。

14,5歳の頃からスピーカーを作っている。
スピーカーは面白い。
何をやっても音が変わる。
その頃はもう手当たり次第だった。
段ボール箱がスピーカーになり、みかん箱がスピーカーになった。
少し大きな板は平面バッフルになり、棒っ切れは補強材になった。
板厚はどんどん厚くなり、補強のジャングルジムが出来た。
訳の解らない複雑なホーン、奇怪なダクト。
自分が何を目指していてどこへ向かっているのか考えもしなかった。

最初はパイオニアだった。
それがフォステクスになりコーラルになりダイヤトーンになった。
18歳の頃JBLを知った。
なんという甘美な響き、JBL。
店頭で流れるJBLの音を聴き、38センチウーハーとドライバーを手に入れた。
ウーハーはやがて倍になり、上下にドライバーを挟み込んだ。
レイオーディオを知るずっと前である。

システムは進化し続けた。
スピーカー作りに留まらず、いったいオーディオというものはどこまで音が良くなるのか確かめたいと思った。
アナログプレーヤーを作り、ラックを作り、アクセサリーを作った。
自分で作れないものは買った。
決してお金が有り余っていた訳ではないが、実家暮らしでオーディオ以外にたいして趣味もなく、タバコも吸わず、晩酌もせず、賭け事もせず、車はボロボロ、(これは言わなくても良いが)しばらく彼女もいなかった私には、貯金をしながらでも年に数十万円くらいは充分オーディオに投資出来た。
それに私は仕事大好き人間で残業しまくっていた。
もとい、残業させられまくっていた。
この残業させられまくり状態は、実はつい最近まで続くのだが、、、、
また、今でもそうだが私は典型的な「しまり屋」である。
日産のゴーン社長がコストカッターマンなら、私はウルトラコストパフォーマンスマンである。
同じ価値のものなら一円でも安く買おうとする。
その私が清水の舞台から飛び降りる気持ちで、アンプを買い、CDドライブを買い、DACを買った。
あまり何度も清水の舞台から飛び降りるものだから、清水寺の十一面観音様もさぞあきれられたに違いない。


やがて35歳くらいでシステムは頂点を迎えた。
280VやMX−10000、P−2S、ワディア64など、そうそうたるシステムが揃っていた。
そこで初めて、掛ける金額に比例して音は良くならないことを知った。
決して反比例はしなかったが、金額が倍になろうとその差はわずかなものである。
それからのオーディオはどんどんグレードダウンする。
「少しでも安いもので、知恵と工夫で(というか勘と思い付きで)何とか最高に近い音を出せないか」そんな風に考えるようになった。
その考えは今も私のオーディオの根底を脈々と流れている。

スピーカーは一貫して自作だった。
JBLでしばらく落ち着いていたが、やがてオーディオ誌で見たユニウエーブスピーカーのとりこになる。
そのころはイーディオの飯田さんにも大変お世話になったが、今でも感謝している。
ユニウエーブを知り、勢い余ってヨーロッパ製ユニットのとりこになった。
ディナだのスキャンだのセアスだの、いろいろ組み合わせていたら無限の組み合わせが思い付く。
ユニウエーブのとりこになりながら、私のことだからバスレフにしたり(ユニウエーブスピーカーは大原則として密閉なのだが、、)、スーパーウーハーを追加したり、それはもうオーディオのワンダーランド、キンダーガーデン状態である。
しかし、やがてそれはキンダーガーデンの卒園へと向かう。
複雑なネットワークを使い、組み合わせの妙だけでは、メーカー製となんら変わりない。
いや、結局メーカー製には勝てない。
自分の本当に求める音は何なのか、、、、とか真剣に悩んだりはしなかったが、その箱庭的世界の限界と中域にクロスがくることの難しさを知った。

そして、今改めて考えてみると、オーディオは常に多面性を持ち、自分はその多面性のどの部分を見ているかを理解することが非常に重要である。
「技術」と「芸術」。
「良い音」と「好きな音」。
「メーカー製」と「自作」
「作る楽しみ」と「出てくる音」。
特にスピーカーなどを自作していると、バックロードやヒドラなど、複雑怪奇なものほど、出来上がったときの達成感は大きい。
しかし、その達成感と、出来上がったものから出る音の判断、これを使い分けることが出来なければラビリンスが待っている。
今出ている音は果たして「(私にとって)良い音」か「好きな音」か、、、、。
私はまだ私にとって「好きな音」を目指したくない。
私が目指すのは、私にとって「良い音」なのだ。